よく見ると青いな烏みて呟く ような恵のコラム 甘夏ためつすがめつ23こめ

絵本を読んでいると「エッ」と驚くことがある。

いま確かに動いていたんですね。絵が。

 

といっても、絵が動き出したのはここ最近のことだ。

彼の絵本はふつうナンセンス(というものに触れてきたわけじゃない私が言うのだからテキトーに聞き流して欲しい)と言われる。ページをめくっていると、いちいちそこに立って、ジカで考えた、という感じがある。

この手触りが、私は好きだ。

 

前例とか技法とかたぶん、ものすごく含んできた絵画人生だったと思う、でもそれを否定するでも模倣するでもなく、ジカで考えた。

 

そうでないとこんなすんごい絵本を、生涯描き続けることなんてこと、できません。

 

そして子どもたちに対して諦めるも望むのでもなく、信じていた。

信じることをやめることができなかった。

 

スモークブックスで働かせてもらいながら私は、彼の言うナンセンスを引き継ぐ絵本をもう何冊も見つけてきた。

いまこの電灯の下でふすふす笑ってる私も。

 

長さん、未来は明るいです。

 

最後に今年度で休刊が決まっている月刊誌「母の友」2025年1月号に再掲載されている長新太さんの言葉です。

ちなみに本書に出てくる『なんじゃもんじゃ博士』は、母の友の連載でうまれたおはなし。

 

好きだと思う気持ちを、ちょっとがんばって、否定しないために。

 

「ナンセンスがわからない、という大人は、なんにでも意味を求める人が多くてね。これは作者は何を言わんとしているだとか、理屈で考えるからわからなくなっちゃう。ナンセンスから意味を求めようというのはナンセンスなんだね。

 

子どもの本というのは落ちるとどこまでも無限に落ちていっちゃうところがある。おとなの本だと、この絵はちょっとひどいなんて批判も出るけれど、子どもの本だと子ども向けだからこの程度でいいだろうとか。つくる側も『子どもに与えるために』ということをあんまり考えすぎると、いいものができないと思う。ぼくは自分がおもしろいものができれば一番いいと思う。自分に対して描いているということになりますね。煎じ詰めると。」

 

母の友 1996年7月号『絵本作家探訪記』より