「会えば別れるのが人の世の定めとは言うものの、今回の高田悦志との別離には、身に染み入るような痛みを受けました。あれから5ケ月の月日が過ぎましたが、何故か一人少ないと云う気がしません」(本文より)。
1985年9月10日、アメリカ・シアトル市にて公演中の事故のため急逝した、舞踏グループ山海塾のメンバー、高田悦志の遺稿集がニュー荷しました。
全身を白塗りで装った彼らが、暗黒の舞台に浮かぶその姿は、生身の人間であることを疑わしく感じるほどです。生きていることは確かだが、この生命体を一体何に例えられましょう。肉眼では認知できない、顕微鏡で拡大すれば確かにそこで蠢いている微生物。もしくは、餌をもらうために水面に口を出す鯉の群を見ているような、首筋が騒つく感覚があります。
“10月 徹底して踊らないことを考える”
“11月 考えを一度解体して0にしてみる”
彼が書き記していた「舞台創作に向けての手順」という項目の中に、このような計画がありました。そんな風に体と頭を揺さぶって、何処へ辿り着こうとしていたのでしょう。
『髙田悦志メモリアル集』
山海塾
1986年 深夜叢書社