令和の街に柘榴かよ 桜那恵のコラム 甘夏ためつすがめつ20こめ

5分。

 

これは私が『バングローバーの旅』を読み終えた時の体感時間である。

実際はたしか、1時間近く経ってたんでびっくりした。

「おっもろ······」と思った。

 

そういえば昔『ノルウェイの森』を読んだ時もそんな感じだった。

「なんだこれ」と思いつつ読みやすい、読んだことないこんな話。

···と気づくと緑色になっていて、あれ全部読んじゃった。

時計を見てエッと思った。

今日が明日になっていた。

 

もちろんそれがいいとか悪いとかが言いたいんではなくて、

開くたび眠くなるそれに「ヒーヒー」しながら、ひと月くらいかけてやっと読み終わる名作もある。

そういうのはしみじみする。

あー読んでよかったなあ。諦めなくてよかった。

何度も見た表紙にもなんだか愛着が湧く。

すぐ読んじゃうのとは違ったしみじみ。

 

朝目が覚めた時、ある曲のフレーズが耳に残ってる時がある。

これなんだっけ、でもここが好きなんだよな、と私。

同じことが小説でもある。

強烈に美しい場面が突然何かの拍子にぽん、と出てくる。

乗らないバスが目の前で丁寧に停まった時、腎臓のかたちをした石の手触りをまた思い出していたり、

夕方駅で別れた時、とぱあず色のレモンががりり、と鳴ったりして。

 

このひとの言葉はいいな、と思う。

 

第三十二回芥川賞を取った『プールサイド小景』を初めて読んだ。

それでびっくりした。

やわらかい輪郭が、光を受けて鋭く光る。

晩年に書いたエッセイ『メジロの来る庭』を読んだ時と同じみずみずしさ。

それで、えばってるところがまるでない。

こういうことって可能なんだろうか、と思ったりする。

 

 

 

このブログは、

「スモークブックスで手に取ることができる本でエッセイを書く」

というのをいちおうモットーにしているので、読んだ後でこの本欲しいな···というのが難点だ。

欲しい、でも届けたい。

 

そんなことって、ちょっと素敵なことだと思う。

古書は一点物だものね。

 

とりあえず、読み終わってない本がこんなに積んであるのに、新しい本を買うのを、頑張ってやめます。