じいちゃんが死んだ。
じいちゃんとは、私の祖父のことである。
自宅でゆったり暮らす、その様を見て、「そろそろなのか」とは思っていたものだが、入院後、意識をなくしてから3日ほどで危篤となり、急展開で、死んだ。
急展開で転がるようなテンポではあったが、危篤状態でのじいちゃんの顔は、判別がつかない、別人のもののような、そして、いかにも、遺体らしい印象だった。手を握ったものの、硬く、はじき返す予感のない、まるで死後のもののようだった。
最近のじいちゃんの姿は、一日のほとんどを寝て過ごし、徐々に消失していくように見えていたが、ついに死ぬに至った、ということか。そう納得された。
うっかり私は、「じいちゃん」の前で、
「今夜が山だって?」
と失言したくらいだった。
父は、「でも、その山を、越えてくれないと」
私には小声でたしなめつつ、
「おとうさん、また来ますからね! あとは大丈夫ですから、ご心配ないように。また元気にいらっしゃるのを、お待ちしていますよ!」
と、耳元に叫んでいた。
今わの際で声をかけるには、「心配せず安らかに永眠してください」と言いつつ、「頑張って復活してください」と言うべきなのだろう。
コロナだから、少人数・短時間で、と制限された面会だったが、制限があってもなくても、じいちゃんのために、私たちができることは残されていなかった。
「声をかけてあげて」
臨終の、深夜の病室で、母は懇願した。
呼吸器の外された顎はあんぐりと開放され、じいちゃんは完全に遺体となってしまった。
「じいちゃん、さようなら」
私は、それしか言うことしかできなかった。
何も言わないでは、集った皆に悪いから、そう声をかけた。
じいちゃんの魂というのか、気というのか、そういった、「じいちゃん」を「じいちゃん」たらしめていたものは、とうに滅してしまった。それが実感だった。
その死の朝、自宅で安置された遺体を、妻と息子とを連れて、訪れた。
2歳と9か月くらいになる息子だが、生前のじいちゃんをやたらと慕っていた。
じいちゃんの顔を見ると「じーちゃあーん!」と叫ぶのだった。じいちゃんも「はあーいー!」と、何度も互い叫び合う。
膝に這い上がり、口を開けさせて、入れ歯をいじって大喜びしたり、「オウッ、もうあっちへ行け」などと、じいちゃんの口真似して、じいちゃんを怒らせ、怒ったその真似をまたして、本気で怒らせたり、と、息子は半ばおもちゃにして遊んでいた。
じいちゃんは、軽くだが痴ほうもすすんでいて、老体には疲れるだろうし、あるいは、何が起きるか予想がつかず、危なっかしいので、私は息子を引き離す。だが、息子は頑なに「じいちゃんのところへ行きたい」と私の腕をすり抜けて、においの染みついたじいちゃんの寝室に入っては、足もとに乗っかったりしていた。
白い覆いをとって、その顔を見た。
そこには、増して物質然として、さわやかに尖らせた顎があった。じいちゃんには、こんな顎があったのか。私の記憶にはなかった。
妻は泣き、祖母や母や叔母も、涙ぐんで、
「じいちゃん、寝ちゃってるのかな」
などと、息子に声をかけていた。
すると、息子は、右手の親指と人差し指で輪っかをつくり、左手の親指と人差し指も軽く輪をつくり、手の平を向け、目をつぶった。
皆が目を見張った。
息子は、とあるポーズをとったのだった。
「見てよ、阿弥陀様だわ!」
「なんて子だ、じいちゃんの臨終に、阿弥陀様の恰好をして……」
「偉いねえ、偉いねえ」
阿弥陀如来のそのポーズは来迎印、摂取不捨印と呼ばれ、「阿弥陀仏が西方極楽浄土よりあなたを迎えに来ました。あとは任せなさい」という意味があるという。
私は、「よくも絶妙に、このタイミングで…」そう言いかけた。
が、もう言葉は不要のようだった。いや、言葉に詰まった。
息子は、日頃から仏教美術が好きで、時折真似をしているのだったが。
祖母らは、一様に感極まり、息子は、突如として神秘性を帯びた。
傍らの私もその神秘に包まれ、世にもありがたいものを、目の当たりにした気がした。
息子はそのポーズを解くも、祖母は幾度もそのポーズを要求した。
また息子は、その要求に応えるのだった。
川端康成の「禽獣」を再読すべきだろうと、開いた。
しかし、粗雑に扱う命の感触に嫌気がさし、やめてしまった。
私には子供がいる。命を粗雑に扱う描写がいやだった。
なんとなく、背中の棚に放り込んでおいた。
それで翌日、また開いた。
昨日より読み進んだ。
昨日、「いやだった」ということは、私にはその手触りがわかってしまう、すでに私の一部にある、ということだと気づいた。
しかし、「虚無のありがたさ」というものがよくわからない。
読み通したが、よくわからない。
そしてやはり、ある登場人物のポーズと、息子の阿弥陀如来のポーズとが、重なった。
「ま、ポーズとして重なっただけだ。それに、息子はそりゃあ無垢だから。うちの場合は、そうありがたい、というものではない。結びつけるのは浅はかだ。ただタイミングが良かっただけ」
実生活と重ねることから逃れられず、読書に没入できないことに、いら立ちを感じていた。
本棚に戻した。
そのまた翌日の朝、まだ誰も起きてこない時間。
三たび、手に取り、開いた。
祖父の夢を見たのである。
あちらこちらで、やけに楽しそうに微笑んでいた。
その姿は、私のイメージにある「じいちゃん」。
痩せ細り、眠り続け、日に日に存在感をなくしていった、最晩年の祖父ではなかった。
気になったところを拾い読みした。
メモをした。
「私は、絶対に死ぬ。
だが、私は死を経験できない。
他人の死しか経験できない。
死は、客観的。」
「だから川端は、生を、死の淵から描いてみた。……?」
「生が無垢であればあるほど、
死の絵筆の彩なすものは濃密になる。……?」
起きてきた息子に「バン」と撃たれ、私は「ウッ」と死んだふりをした。
〈プロフィール〉
加藤亮太 1984年東京都葛飾区生まれ。中学生のための学習塾「カトウ塾」塾長。
2007年 バンド「august」結成。2008年 映画製作「new clear august」「ガリバー」「自棄っ鉢にどでか頭をぶッつける」等。
初小説「ことぶきの日」(同人誌『新地下』創刊号)。日本映画学校入学。2011年 小説「催促の電話」「冷製玉手箱」。
某大手塾にて塾講師。2012年 小説「わが遁走」「ダイヤモンドダスト」。
塾設立を企図。2013年 小説「狂犬病予防接種」「表層」「観賞」。バンド「オガアガン」結成。2014年 小説「かかし」。
某メーカー勤務。2017年 小説「弟の車」。2018年 小説「オメデトウ」。
2019年 独立、開業。
(※ すべての映画・小説は新人賞を落選し、すべてのバンドは解散した。)
カトウ塾は、公立中学生のためのシンプル学習塾です。
都立高校受験対策に特化し、成績アップ・志望校のランクアップを目指します。
葛飾区東水元にて夫婦で運営しております。