10時間目 基準を超えて 「第七官界彷徨」尾崎翠 午後3時のカトウ塾 加藤亮太

その作品が出たのは、2011年3月11日より前か、後か。

 

 この確認を私は欠かさない。読むにも、観るにも、聴くにも。

今年は、あの震災から10年。それでも、作品に対するこの確認作業は、私の癖となっている。きっと、一生続くと思う。

 

その作品は、どの世界で生まれたのか。あの震災を経験した世界で作られたものなのか、それとも、そうではないのか。

そうなら、「じゃあ、私と地続きの作品だ」と思う。

そうでないのなら、「じゃあ、向こう側の作品だ」と思う。

 

これは一定の事実だ。そうだ、事実に過ぎない。

 

私は、震災の影響色濃い作品ばかりを、崇め奉りたい、と言っているのではない。2011年3月11日以降のすべての事象は、「いま」とつながっていて、あの日以前のすべての事象は、「いま」とは断絶している。これは事実に過ぎない。

 よって、2011年3月11日は、基準となる。地層からアンモナイト化石が見つかったら、その地層の時代が中生代だと決まる示準化石のように、2011年3月11日は、日本人にとっての基準となっている。ならないわけがない。

 

 そして、現下のコロナ症蔓延のことも、今後の新しい基準足り得るのかもしれない。

 今日、国内で感染者が初めて見つかって、1月15日がちょうど1年だときいた。

 

 

 *   *   *

 

 

 ガイドブックなんかに載っているような、陳腐な観光地からは外れて、あえて、ひなびた土地の寺に参ってみる。1時間に一本あるかないかのローカルバスに乗って、メジャーな街から外れ、人の気配から離れ、地元民でも滅多に行かないような場所へ。

繰り返すが、私は、あえて、そうしてみたのだ。それが旅情と言うものだ、という意気込みで。

 目的の寺社は鬱蒼とした森にあり、灰色の祠の立ち並んだ境内の空気は、うすら寒い。自動販売機は、売り切れのままに放置されてある。石像を眺めると、とくに珍しいこともなさそうだが、そのいわれの立て札を読んでみると、子どもを食った鬼女の神、などとあって、やけにおどろおどろしい。

そこへ、カップルが現れた。外国人のカップルだった。これが、いかにも、観光目的の外国人。また、あろうことか、ショーでもやるかのような奇抜な出で立ち。

 旅先でのこんな場面。

 興ざめ? せっかくの旅情がぶちこわし? いやいや、これは私にしたら、全然そんなものではない。むしろ、「ホッと胸をなでおろす」といった表現がふさわしい。「よく来たな」と、神(=来訪神=そのカップル)に許可を出されたような気もする。よもや彼らがフランス語なんかしゃべってごらん、「大正解!」と、太鼓判を押された気さえしてしまう。

 観光客が集まる場所を嫌い、あえて離れてみた、その結果、折悪しく観光客の権化のような人と遭遇したが、呆れたことに、私は「よかった、正解だった」と安堵する。

 

つまり、私は、私の感性を信じたいが、信じられないでいる。

 

つまり、私は、私の感性を不動の基準にできないでいる。

 

また、私は、私を愛しているような気がしているが、しかし、私は、私を信じきれないでいる。

 

愛が、見返りを求めない奉仕だとしたら、そして不信が、絶望のエキスだとしたら、愛と不信とは、同居し得ないはずのものではないか。同居など、矛盾でないか。「そんな矛盾までひっくるめて、私は私を愛してる」と言うのなら、感性不信の話はチャラになり、「勝手にしろ」と吐き捨てることとなり、それではまったく話にならないのだ。

 

 

 *   *   *

 

 

コロナが恐ろしい。コロナを恐れて、変化・起伏の無い日々を過ごしている。

私の脳は常に怯えているから、正常な判断力が低下しているようにも思う。味覚嗅覚が正常かどうかばかり気にしている。

 

そんな中、音楽やラジオを聴く。聴いていると、深刻に考えずに済む。コロナを忘れる、とまでは至らないし、そうしたいとも願わないが、変化・起伏の無い日々を恨む気分や、コロナに怯えた気分からは浮遊できる気がし、その時点で快楽を得ているようだ。

通勤時、20分の徒歩、ラジオを聴く。これはタイムフリーで前日の「有吉弘行のサンデーナイトドリーマー」「爆笑問題カーボーイ」、「おぎやはぎのメガネびいき」が最低限、となるから、毎週月曜・水曜・木曜の習慣となっている。

3番組の共通点は、冒頭、さらに、最初のリスナー参加のコーナーで、時事ネタを扱う点。これは人と人との出会いがしらの社交辞令的な世間話に似て、ふつう。自然。

逆に、まったく時事ネタを扱わないか、あるいは、扱い方がしつこい、あまりに偏っている、という場合はあまり聞く気にはなれない。それは、やはり、私がラジオに求めているのは、ごくふつうの会話だから、だろうと思います。もちろん、お笑い芸人なのだから、笑わせようとしてくれるのだけど、その笑わせようとしてくるきっかけの掴み方、その表現、思考と発言の連なり方が、また自然な力加減で、偉そうな言い方だが、好感が持てる。彼らには、「ごくふつう」という基準を、常に意識しているようなところがあって、私は安心して聴いて、そして、けらけら、笑っています。妻に、いかにリスナーからの手紙に対する有吉の返しがおかしかったか、いかに太田の田中への相槌の打ち方がリスナーの興奮を掻き立てるものか、いかに小木が案外社会に対して厳しい立場をとる、その半笑いでのポーズを、矢作が解説する際、全体的に納得のいくコンビならではの収穫となるかを、弁じてみたものの、全部口真似をして話さねばならない気がするので、下手なモノマネも相まって、再現度は極めて低く、結果、夢の話をしているようで、我ながら歯がゆいものだ。ここでもつい饒舌になる。

聴きたいラジオ番組がない曜日は、音楽を。音楽を聴きながら、歩く。ノッてくると、リズムに合わせて、歩数も合わせてしまうし、首を上下に動かしてしまうし、手元ではエアギター、エアドラムまで始めっちまう。すると、「この曲を聴くために生まれたのだ」という熱い思いに駆られ、興奮しちまう。最近はフィーリーズ、ビッグスター。この2軒を行ったり来たり。

これらの習慣は塾の掃除が終わり、食事が終わるまで続く。はかどって、(あるいは、時折手をとめ、また動かすといった、慎重さで)教室も普段よりピカピカ光るようだ。

 

生徒が来る前のピカピカに磨かれた教室で、ひとり、ラジオのタイムフリー機能で、妻の拵えてくれたおにぎり二個、食べながら、くすくすと笑っている。くすくす笑いが、だんだんと大きくなり、「ブッ」と米粒を吹き飛ばしそうになりながらも、こらえて、それがまた、実におかしい、といった様子で、笑っている。

そんな自分を、また別の私が、上から見下ろして、無感情にぽつり、つぶやく。

 

「あんなに嬉しそうにして……。どうせ死ぬというのに。かわいそうに」

 

そんな私が、涙を流す。

これは自愛の涙か。それとも、感性による涙なのか。いや、それとも、それらの感興の、かけ合わせ、化学反応によって生じた、何らかの結晶なのか。

 

ラジオの中の彼らは、もちろんコロナについても喋ってくれる。また、杉本博司は新聞上でコロナを「頃難」と表記していた。

そのように有名人たちがコロナを取り扱ってくれることで、私の無謀な自己不信は、融和されていく。外国人観光客の存在によって、自己不信が、融和されたように、私のコロナへの怯えが、私も知っているし皆も知っている人、つまり、信頼したい人たちの表現に、すくいあげられ、中空で共感がなされ、融和されていく。

そうやって、私は、失いかけていた自分の基準を、たぐり寄せようとする。しかし、他人の手を介して。

 

 

 

○   ○   ○

 

 午前10時。にしては、日当たりの悪いリビングルームで、ひげ面の、寝癖頭の男があくびをしている。妻はずいぶん前に買い物にでも出かけたらしい、炊飯器の横には、乾ききったしゃもじが、墓標のように、男のものらしい茶碗に入れられてある。

 男の前にはスマホ。ヤフオクの画面。

その男は、つい今しがた、コム・デ・ギャルソンの服を6,750円で落札したのである。競りに競り合った挙句、ギャルソンの中古のシャツを手に入れた。男は勝った快感にも飽き、手をだらりと床に垂らしたまま、平和なあくびをしたところである。

 私は、背後から行って、「はたらけ」と言い、その男の後頭部をひっぱたきたくなる。

しかしその男とは、私のことなので、ひっぱたくことは、無理である。 

 

○   ○   ○

 

 

上記「○ ○ ○」で囲まれたる文はコロナ禍前に、加藤氏が、つまり私が、書いたものであるが。

 コロナ禍中の今となっては、最後の「ひっぱたく」というくだりは、自ら許しがたい行為のように思えてならない。

今ならば、「どうせ死ぬというのに。かわいそうに」と涙を流す……

そんな描写しか思いつかない。

 コロナのわざわいを経て、許されない文章となった。そこには、私の、おぼつかないながらも、過去とは一線を画す、「新しい基準」が働いている。

 

 しかし、ついに、ゆり戻される日が訪れたら……

 

たとえば、新型コロナ予防接種が全国民完遂し、「感染者0」「新型コロナウイルス殲滅」、すべて振り出しに戻る日が来るのなら!……どんなにいいだろう。その日が訪れる時、私は滂沱のごとく感涙流して、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチ交わし、3密と濃厚接触のオンパレード、真のお祭り、やるぞ、酒のオリンピック、やるぞ、山手線一周はしご酒の旅を、大盤振る舞いを、素晴らしきわが青春をもう一度、してみせる。

 

・・・

 

先ほど「新しい基準」、などと威勢のいいことを言ったものの、そんなものは、たやすく吹き飛んでしまうような、ほんの使い捨て立て看板のような、そんな頼りないものなのだろうか。

 

テレビで、狂言の「茸」を観て、笑う。

 

狂言や歌舞伎など、伝統芸能を観て、単に「可笑しい」というので、私は笑うわけだが、ただ笑って屁をこいているだけではない。笑った後、とある感慨に打たれる。

というのは、この笑いは、100年どころか、200年、300年……、いや、演目によっては、室町時代からと言うから、600年以上も繰り返されてきた、そういう笑い、ということ。

累々と積み上げられてきた大量の笑いによって裏付けられた「確固たる」可笑しみ、それが、私を笑わせるのだろうし、しかも私はいっちょまえに、その先頭で笑っている。屁をどうしようとも、私はその先頭にある。

私が発した笑い声は、背後から、どうっと、湧きたつ、声なき歓声に、圧し出されるようにして、出たのだ。そんな感じに触れ、声なき笑い声を聴き、私の声がそこへ混ざり、私も芸能の歴史、笑いの歴史の一部として作用することになり、嬉しくなる。

 

伝統芸能を演じるにあたり、基準となるのは、台本やテープ、録画映像、先輩からの口伝え、稽古などであろうか。その基準は、ブレるタイプのものではないはず。なぜなら、まず役者ひとりで勝手にやるものでもなく、同時に共演者はもちろん、興行主、演奏者、舞台美術、など様々な専門的で伝統的な業種が絡み合ってできあがるものだから。また、あまりにも長い歴史があり、型が決まっていて、その型の再現がまず土台となるだろうから。そして、受け手の感動もまた、定型化され、それをまた頼りに、「またあれをやるのか、観たい」ということで、観て、前述した、歴史に裏付けられた感動、どうっと、それを背に受け、自分もその一部となって、感動し、そのことにまた感動する。現在進行形の客を感動させることで、現在完了形の、可視化するなら、眼前の客の後ろに、ずらり長―い列をなした観客全員を、同時に感動させることになる、そのような形而上的な劇場を、歴史に裏付けられた催しで実現せしめてしまう、それが伝統芸能の舞台だと思う。

 

その笑いは、幾度ものわざわいをくぐり抜けてきた、強い基準によるものだ。日本人が全滅しないかぎり無くならない、確たる基準。

 

 

それに比べて小説はなんて不確定なものだろう。曖昧な、自分の基準だけを頼りに、ものにしなければならない。

 

尾崎翠の「第七官界彷徨」。

その作品が出たのは、2011年3月11日より前か、後か。

勿論、ずうっと前の、1931年発表の作品。私とは地続きではつながっていない。

 

主人公「私」が男子学生三人の住まう家の女中として、紅一点、歌ったり、泣いたり、笑ったり、しっちゃかめっちゃか、グロテスクな騒ぎの、その中で、奮闘し、そして恋をする、という、現代でも散見する、少女漫画か日テレのドラマかのような設定の話で、おそるべきほどに現代にも開かれた作品なのだが。

 

「私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう。」

 

 序盤の、このひときわ生々しい一文にドキッとさせられる。

尾崎翠が、あらゆる基準と懸命に戦っていたんだ、私にはわかるぞ、と思う。

(それに、尾崎はこの作品発表後、永遠に引退し、伝説と化してしまう)

 

 私は、しみったれた涙など拭い捨てて、ここと地続きでなくても、ぴょんと飛び越えて、「向こう側」へ行きたい。行けるか