夢を、手繰るみたいだ。
ほうわりと光をたたえた画面は、
焦点があっているのにぼんやりとして
起き抜けに夢を手探りで思い出すような、浮遊感がある。
日常がぺろりとはがれて、ときとところを越えて
雄大さの直中へと、接続してゆく。
東京都写真美術館で行われている川内倫子の展示は、
写真と映像の作品による、3つのシリーズから構成されていた。
家族の光景、野原の虫、道端の草花など、日常の景色をまばゆい光をもって写しだす≪照度≫。
野焼き、お祭り、嘆きの壁、星、この命を越えてゆく営みを描いた≪あめつち≫。
鳥が群れで動く、その影を写した映像≪影を見る≫。
川内倫子の作品は、光に満ちたタッチが、モチーフの固有性を包み込んで、
遠く遠く、かなたの雄大なイメージを呼び起こすようだ。
身近なものごとを写していても、ありきたりのものごとである感じがしないし、
逆に野焼きや嘆きの壁といった特徴的なものごとを写したとき、モチーフのもつイメージのみにとどまらない普遍性を感じさせる。
人間を超えるものごとが感じさせる、果てしなく雄大なイメージ。
先日、日本で日食が観測された。食が最大になったとき、暗くなり、あたりが少しひんやりした。
21世紀のいま、日食のからくりを知っている私たちにとって、
月が日を遮るから、暗くなり涼しくなることはなんの不思議もないことかもしれない。
しかし、私たちは、日食のからくりを知っていても、
なぜそれが存在し、そのようなバランスをとっているのか、まったく知らない。
当たり前に日が昇り、日が沈む、人間が生きている「いまここ」という地平の向こうの、
果てしないなにかを、私たちは知らない。
それでも、作品にあふれているのは、そのような果てのなさへの恐れではない。
繰り返し繰り返しの人間の営みのなかで、それらひとつひとつと向き合い、かみ砕き、
想いを重ね、命をすり減らしたり、輝かせたりする、厳かなまばゆさだ。
雄大さの直中へと包まれてゆく、心地よさとやさしさだ。
7月16日(月)まで。
参考
※ウェブページのリンクは2012年6月24日現在
○東京都写真美術館
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1593.html
http://syabi.com/contents/exhibition/topic-1593.html
○川内倫子公式ホームページ
http://www.rinkokawauchi.com/main/index.html
○展覧会図録
川内倫子『照度 あめつち 影を見る』青幻舎
○2012年5月21日 金環日食
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